フィリップ・ジャルスキー インタビュー 2015年2月 マドリッド |

問)一年近く、サバティカルを取られましたが、そのあとは一層働く気になりました?
PJ) ええ、勿論!。みんなびっくりしたけれど、こんなのは普通じゃなかなかできないですから。僕には本当に贅沢な休暇でした。この10か月の休みを取るのを決めたとき、その後の2年間のスケジュールはもう一杯でしたし、将来の契約ももうサインしていましたから、人々が僕のことを忘れてしまうんではないか、といった心配は全くしませんでした。
1年の休みを取れるというのは、スペインでは知りませんが、フランスでは多分一生に一度できるかできないかでしょう。この休みを取る前はものすごくたくさん仕事があったし、自分の情熱をかけているものが仕事だと、仕事をしていないように見えるけれど、実際は24時間仕事をしているようなものです。
この休みは声の不調のためではなかったので、不都合が起こらないように、前々から公表しておきました。自分の声から距離を置き、休息をとり、テクニックをリフレッシュさせ磨きをかけるための休みでした。また、長く歌い続けていると、直したいと思っても体が記憶していてうまくできなくなるので、その記憶を忘れ、歌手や音楽家によくある「チック」を取るため、何か月かが必要でした。
問)あなたのお仕事は、歌うだけではなくて、町から町へ、国から国への移動、インタビュー、サインを求めるファンへの応対、録音、プロモーションと休みなしですね。
PJ) ええ、実際そうです。だから休みをっとった理由の一つとして、歌手としてではなく、世間一般の人と同じようにきついスケジュールなしに旅行することでした。この2年間は非常に仕事が詰まっていましたから。
今朝、僕はロンドンにいて、朝一番にしたのはインタビューでした。それから飛行機に乗って、今ここマドリッドであなたの前にいて、また同じように自分のことを話しています(笑)。でもなるべく、違うインフォメーションを提供するようにはしていますがね。これはクラッシックのアーティストの仕事の一部だけれど、もし俳優とかポップの歌手のように、プロモーションが一番の仕事だったららもっと大変だろうと思います。
そのほかにも、予定にはコンサートや、録音があるし、録音した後は、その録音を何時間も何時間も聞いて、まずいところを直し最後のマスター録音を作らなければならない。そしてジャケットのための撮影もある。それから演奏旅行のプロジェクト、同行する音楽家の招待、将来どこでコンサートをやるかも決めなければならない。そのほかにも新しいプログラムの練習も必要だし、パリの先生にも合わなくちゃならないし、リハーサル、リハーサルの繰り返し… でもこの仕事はいろいろバラエティに富んでいるし、「クール」ではいられないですよ(笑)。
問)退屈している暇などないわけですね?
PJ) ないですね。今回の演奏旅行は17回同じコンサートをやっているんですが、前の Porporaの時は10か月間、30回やりましたから、2番目に長い演奏旅行です。実際、毎日違う町に行くのですから退屈している時間はなく、毎回音響効果の違うホールで、違う聴衆です。いつもステージでは新しいことや、サプライズがあるので、ルーティンワーク、なんて絶対ないですよ。
問) アーティストの中には、何年もの経験があっても、いまだステージに上がるとナーバスになるといっていましたが、あなたはどうですか?初めてステージに上がった日と同じように楽しんでいますか?
PJ) もちろんです。ステージに上がるのを楽しんでいますよ。僕はステージでナーバスになることは絶対ないんです。何のプレッシャーも感じないので、いつもステージに上がるのは気楽にできました。体調の悪いときでもナーバスになることはないですよ。パニックもなし。単に自分の最善を尽くすだけです。
ステージですごくナーバスになってしまう同僚を知っていますが、それは大変だろうと思います。
でも、ナーバスにならないということは、センシティヴではないということではありません。
友人をリサイタルに招待して、コンサートの後彼らと会ったとき、彼らに、
「コンサートの間、こんなことをやって、あんなことをやっているのを見たよ」
というと、すごいびっくりするんですよ(笑)。
「なんだ、君は歌っていたとばかり思っていたよ」
っていうんだね(笑)。
もちろんそうですよ。でもステージに立つ時、こっちだって目があるんですよ。トランスしたり別世界に行っちゃっているわけじゃない。僕は聴衆と一緒にいて、聴衆のために歌っているんだ。ほとんどの人は、そこは秘密の場所で、自分の周りには何もないと思っているようで、ステージから見られているなんて思ってもみないから、とても面白いですよ。だから、ステージから集中の仕方が違う様々な顔を観察するのは実に面白い。
あの人は口を開けてみている、とか、こっちの人は人に強要されてコンサートに来たんだな、とか、あのへんな顔をしている人は、僕の歌が気に入らないんだろうか?とか気になったり、まあ、面白いですねえ。
問)今最新アルバム「ピエタ」(ヴィヴァルディの宗教音楽)のコンサートツアーの真っ最中ですが、今まで彼の作品はオペラでもコンサートでも、スピノジとアンサンブル・マテウスとでずいぶん歌ってきましたね。でもこの何年かは、もっと知られていない、クリスティアン・バッハやカルダーラ、ポルポラといった作曲家の作品を歌っていて、ヴィヴァルディからは離れていましたね。なぜまたヴィヴァルディに戻ったのですか?ヴィヴァルディはあなたやアルタセルセのキャリアに多大な幸運をもたらしたから、外れないだろう、ということで?
PJ) 実際、もう少し若いときは、ヴィヴァルディをずいぶん歌ってきました。僕のキャリアはヴィヴァルディとともに変化しました。一番のヒットはスピノジとのヴィヴァルディコンサートでしたしね。同時に、たくさんの彼のオペラの録音もしたし、オペラでも歌ったし、ヴィヴァルディの声楽曲はすべて発掘しました。僕はいつも、忘れられた作曲家を発掘するのが好きなんです。
ある人が、
「自分はこのアルバムも、あのアルバムも好きだし、プログラムも好きだし、フランス歌曲も好きだし…でもまたヴィヴァルディをうたってほしいな」
というんですね。ふむ、それなら聴衆の求めるものをやってもいいじゃないか? 実際、この録音には、10年前に自分のグループとやったカンタータの三部作が入っていて、それが締めくくりになっています。
勿論ヴィヴァルディは自分のアンサンブルとオーケストラ版でやるにはいい作曲家だし、よく知られている作曲家だし、自分には個人的なさまざまな考えがあったんです。だから、これはいい選択だったと思うし、僕のグループにとってもいい始まりだったと思う(笑)。時には、こういう理由でコンサートを通してCD促進するのを批判する人もいるけれど、今はCDの売り上げの危機の時代だということはみんな知っているし、こうして支えていくのも一つの方法だと思うから、その意味では、自分のためにこのCDを録音したわけではなくて、人々が聞くように録音したのだから、自分では恥ずべき行為とは全く思っていないですね。
今回の演奏旅行では、CDの中に入っている曲は前半だけ。CDで聞くのにはとてもいいプログラムでも、コンサートには適さないものもある。そういう理由で、今回歌ったブエノスアイレスのテアトロ・コロン、ベルリン、ここテアトロ・レアルのような大きな会場では、この宗教音楽を歌うには適さないけれど、第二モテット"Longemala, umbrae, terrores"などはかなりオペラ的要素が含まれていて、後半のオペラアリアに続くいい架け橋になるだろうと思って。アリアの中には、もう5,6年も歌っていなかったものも入っていて、声の変化や曲の解釈の変化を比べられて面白いと思ったから。
問) おっしゃったように、2005年にVirtuoso Cantataで録音していますね。でも今回はアルタセルセのメンバーがかなり増えていますね。16人の音楽家たちを指揮して、同時に歌うという経験はどうですか? 将来の指揮者フィリップ・ジャルスキーのリハーサルのようなもの?
PJ) 実際、棒は振らなかったけれど、グループの指揮をしたのは初めてでした。何をやったかというと、リハーサルの際歌いながら、いろいろ指示を出しました。僕には、ナタリー・シュトゥッツマンがやっているように、歌いながら指揮をするというのは 非常に難しいんです。でも将来は多分指揮をするでしょう。でもまだ指揮をするには学ぶことがたくさんある。ナタリーは有名な指揮者から指揮を学び、そのテクニックやジェスチャーに慣れているし、指揮するのはバロックばかりではないし。
僕がアリアを歌い始めるとき、オーケストラが自分より早く演奏を始めていたら、それを変えたくはないし、彼らの演奏を注意深く聞いていたいと思う。だから、今やっていることは音楽的な方向付け。それは録音の時特に気を付けています。歌うだけではなくて、全部を聞かなくちゃいけないから…だから疲れたなんて言ってられない。でも、この録音にとても満足していますよ。いずれにしても、オーケストラの初めてのCDは、完璧なんてありえないし、ヴィヴァルディは見かけよりもかなり難しいんです。つまり、フレージングをうまくやらず彼の音楽の本質を伝えられないと、退屈なものになってしまう。その意味で、ヴィヴァルディの声楽の作品を歌うときもかなり変えました。
この20年間で、バロック音楽の演奏法が劇的に変わりました。その「改革」は、バロック音楽演奏家でない音楽家たちの奏法にまで変化をもたらし、それは、モーツアルトやベートーヴェンを演奏するときにまで及びました。で、その変化、改革をもたらした大御所はアーノンクールです。彼の指揮したベートーヴェンの交響曲は信じられないほどです。同様に、”Il Giardino Armonico"の「四季」もそれは画期的で、この演奏の「前」と「後」があると思います。いい意味で、すごい「ショック」だったわけです。それは新しい演奏の仕方ではなくて、演奏はこうであるべき、ということです。それは新しい音楽家たちにとって、自分たちですべて研究しなくても、すでに録音があるわけですからやりやすいわけです。でも、僕に言わせれば、ちょっと残念だと思います。というのも、当時演奏されていた装飾音の規則を正しく読むというのは、歌手として大切だと思うから。
問) 図書館で埋もれていた楽譜を発見するのが趣味だということですが、当時の装飾音符を再現するため、音楽学の規則も使いますか?
PJ) 時々は違います。たとえば、もしファリネッリがやったような装飾音を自分が付けたら、今日の聴衆にとっては退屈に思えるんじゃないかと思います。だから今の演奏には、バランスが必要かと。つまり、その装飾音符はこうしなければならない(それはいつもそれはミステリーですが)、という知識を持つのは必要ですが、我々は、昔とは違う、現代人の聴衆のために歌っているということ、その現代の聴衆に、その音楽を訴えかけなければいけないことを忘れてはいけないのです。生活はすっかり変わり、昔よりずっと速いテンポで時間が過ぎる時代です。アリアのいくつかは、昔歌われていたよりずっと速い速度で歌っていると思います。つまり、この音楽を歌うためには、自分のやり方を見つけなくてはならないし、今日の聴衆に語りかけなければならないのです。
問) 先に、もしかしたら将来指揮者になるかもしれないことについて触れましたが、あなたは今まで、スピノジ、ヤコブス、ファゾリスや、カレスティーニのアリアのCDのレコーディングを一緒にしたアイム、またはファリネッリのための曲の作曲家ポルポラの録音をしたマルコンなどといった素晴らしい指揮者とともに仕事をしてきましたね。各々どんな部分が優れていると思いましたか?
PJ) 特にバロック音楽において、実に興味実深いのは、各指揮者がいずれも器楽奏者だったことです。そして、ヴァイオリニストだった指揮者と、チェンバロ奏者もしくは歌手だった指揮者とは非常に違いがあります。というのも、実際に指揮するとき、別々の点にポイントを置くのです。たとえば、ヴァイオリニスト、もしくは歌手だった指揮者は、メロディーのラインに一番重きを置きますが、チェンバロ奏者は作品の垂直なヴィジョンを持っていて、通奏低音部を重要視します。これらのことは、チェンバロ奏者だったアイムや、ヴァイオリン奏者だったスピノジと演奏しているとはっきりわかります。たとえばアイムは、歌手についてすごい知識を持っていて、各々の指揮者は、音楽に対する彼ら独自のビジョンを持っています。
例えば、アンドレア・マルコンからは、もっと詩的で、ショパンの音楽を連想するようなルバートを学びました。
楽譜に書いてあることだけを歌うといった傾向がありますが、書かれているものは、あるコンベンションのためにだけ書かれたもので、それにさまざまなことを考えて付け足さなくてはならない。つまり、書かれていることだけを歌うのではないのです。
例えば、”amore"という言葉があります。それをただそのまま歌ったのでは十分ではなく、amoreのa 、そして装飾音を付けて歌わなければなりません。これについては、マルコンとずいぶん研究しました。また、ファゾリスと仕事をするのはとても好きですが、彼は信じられないほどのリズム感を持っています。彼と演奏する音楽は透明で、何時間も説明を要する必要のない人です。
また、自分のオーケストラと演奏するとき、フレージングを頭に叩き込みます。それで、「まず書いてある通り演奏する。それから音楽を語ろう」といつも言うんです。時には音楽的な表現に気を取られて、通奏低音のラインを忘れてしまう。でも全部を考えていかなくてはならない。今も、自分のオーケストラと演奏する際、自分が気に入るか否か、こうやったらもっとうまくいくか、そうでないか、などもっと学ぶことがあると思います。
問)自分の演奏してきた楽器によって、指揮者がどのような影響を受け、指揮に際し違いがあるかの話をしましたが、ヴァイオリニストとしての背景が歌う際、昔弓でやっていたようなフレージングに影響しますか?また、音符と歌詞の関係は歌手にとって基本的なものですが、ヴァイオリニストを目指していたあなたには、この音符と歌詞の結びつきが、歌手になって初めのころはもっとも難しかったのではありませんか?
PJ) ヴァイオリンをやってきたので、初めは確かに楽器の持つ正確さがありました。その意味で、歌手を始めたとき、コロラトゥーラのパッセージや早いアリアは容易でした。ヴァイオリニストとしてやってきたことがとても助けになったのです。でも確かに、歌手として、いかに歌詞を表現するかということは新しいことだったので、実際難しいことでした。歌を始めたとき、音符だけでなく、感情や言葉や詩を表現しなければいけないので、一番一生懸命勉強したことを思い出します。初めは、音符を歌うほうが、歌詞よりもずっと簡単だったからです。というのも、ただ歌うだけではなくて、そのすごい感情を伝えなければならず、自分の声はその時まだ若すぎました。それで自分の歌唱法を見つける必要があったので、はじめは大変でした。思うに、歌手はその歌詞の感情を表現するため、一人一人が自分の歌い方を見つけなければならないと思うのです。僕にはまだその準備ができていなかった。間違った道に行っててしまうこともある。僕の場合は、ドラマティック・メゾのようなすごい表現力豊かな歌い方をしたいと思ったのだけれど、それは自分の声に沿った歌い方ではないと気付いたんです。自分に必要なのは、距離を置いて、体の自然な響鳴を得るために大変な努力をしました。そして、外に向かって声を無理に出すことをしないこと。これは、様々な予定の入り始めた歌手にとって危険だし、まだいろいろなやり方を試す必要があるから。これはたくさんの生徒にも言っていること。つまり、気付かないうちに自分の好きな歌手のように歌おうとして、最後はどうもうまくいかなくなる。だから、根気強く、足をしっかり地に付けて、自信を持つことが大切。
問) ザルツブルグで上演された「ジュリオ・チェーザレ」の素晴らしいセスト役を思い出します。でも、あなたはオペラよりリサイタルのほうが好きだと?
PJ) 僕にとって、オペラはいつも、いろんな意味でとても疲れるんです。でも、それはオーケストラの指揮者、演出家など、だれにとっても疲れること。
僕の場合のことを言うと、まず自分のパートをすべて暗譜しなければならない。そしてリハーサルの初日が来ると、いつもちょっと怖い。だって、一緒に歌う人たちや演出家、指揮者を全く知らないときもあるし。そしてみんながリハーサル室に集まる。床には線も引いてあるわけではないし、衣装も着けていないし、それで突然、セストにならなくちゃならない(笑)。で、周りにいる人がみんな、自分を見ていて、いかに歌うか、いかに即興でやるか観察している。僕はいい俳優じゃないし、その役に入り込むには時間が必要なんです。だから、オペラに参加するのは精神的にも肉体的にも疲れる。たいていの時、プレミエの日が来ると、「死んでしまいたい」って気になる(笑)。オペラでは、大体5,6曲のアリアを歌うから、そのオペラについて、深く知る機会があるわけだけれど、それを2か月間歌い続ける… さらに、ほかの歌手と一緒に出演する機会があるし、ステージが作られている。でも、僕はリサイタルをするほうが好き。なぜかというと、例えばリサイタルで、2曲目のアリアはあまりうまくいかなかった、でも、まだあと6曲歌うから、それでうまく歌って聴衆を沸かすことができる。でもオペラだと、ステージに2分間だけ入って、また出る。次にまたステージに入り、叫んで、誰かを殺して、また出る。(笑)そのあとまた入って、自殺する、そのあたりは血だらけ…そういった意味では面白いけれど、僕にとって他人になるのは難しい。歌手によっては、他人になるのが好きな人もいるけれど、僕はリサイタルのほうが好き。自分自身でいるほうが好きだし、聴衆と直接向かい合えるから。
終わった後の気持ちも全然別。たとえば、オペラ初日だと、終わりが来るのは4時間後。その間、メーキャップし、衣装を変え…まるで自分が、2か月間一緒にいた大家族の一員のような気がする… オペラでは実にいろんなことが起こる。激しい感情の高ぶりや、または泣くときもある、そういうことは一生忘れないだろう。
例えば、今、リサイタルのためにテアトロ・レアルに戻ってきている。さまざまな思い出がよみがえる。ここでオペラに参加したことがあった。21歳の時、ここで"Celosaun del aire matan"というオペラで端役をうたった。そのあと、ここで「ポッペアの戴冠」で歌った。何度か来ているので、ここは割とよく知っている。
問)カストラートはカウンターテナーとは違う声質を持っていたわけですが、今日、多くの現代作曲家がカウンターテナーの声に興味を持っています。フランスの作曲家 SuzanneGiraud はあなたのために "Caravaggio" を作曲していますが、時々そういった申し出があると思います。どうしてもっと現代曲を歌わないのですか? ピーター・セラーズとの新しいプロジェクトのことを話していただけませんか?
PJ) ええ、確かにいくつか現代曲の作品も歌いました。Caravaggioは2回の上演にとどまりました。毎年一度は現代曲をやるのですが、そういう意味では、たくさんのオファーが来ます。でも実際のところ、そういうプロジェクトは、バロックオペラよりもずっと時間が必要なんです。ヘンデルやヴィヴァルディのオペラを覚えるには1か月かかりますが、現代曲を暗譜するのはもっとずっと大変です。
ピーター・セラーズとの新しいプロジェクトは特別です。 彼は僕のコンサートに来て、僕のことをKaijaSaariahoに話したのです。彼女は、僕が現代音楽には興味を示さないと思っていたのですが、勿論僕には興味があります。このプロジェクトについて、いろいろ話すことはまだできないのですが、室内楽の2つのオペラで、英語で歌います。室内楽的で、18人の演奏者と、2人のソリストの歌手。一人はバリトンで、一人はカウンターテナー、と合唱。僕にとっては、ピーター・セラーズと働くのは夢のようなことです。僕の見た彼のオペラで好きなのは、必ず、あなたが誰か、という部分があるという印象を受けること。彼のオペラの登場人物はいつも、舞台でとても自然体です。この企画で、きっと僕のオペラ的な面の進展があるのではと思っています。
問)2月に、ワーナーから、ヴェルレーヌの詩によるフランス歌曲の新譜 ”Green"が発売になりますね。いつものピアニスト、ジェローム・デュクロとエベーヌQとの共演ですが、少しそれについてお話しくださいませんか。すでにOpiumを出していますが、再びフランス歌曲ですね。あの花火のようなアクロバット的な歌に飽きが来たのでしょうか?
PJ) そう。これは僕の特別なプログラムになるでしょう。ちょうどカレスティーニの時のように。今回は、すべてヴェルレーヌの詩に作曲されたものです。彼の詩の中でも特に有名なものを選んで、同じ詩に、様々な音楽的視点で作曲されたものです。ですから、例えばこのCDの中には3つの違う”Green"があります。
これはエベーヌQと僕のピアニスト、ジュローム・デュクロと一緒にやった、とても意欲的な試みで、全部で2時間。中にはよく知られているフォーレやドビュッシーの作品もありますが、Severac, Bordes,またCanteloubeなどの作品も入っています。これは、どのくらいヴェルレーヌがたくさんの人々に、長年にわたってインスピレーションを与えてきたかという証明のようなもので、今日でもまだそのインスピレーションは続いています。
問) 今度の新譜はあなた独自のアイディアですか?それともレコード会社の計画に対応したもの?
PJ) これは完全に僕のアイディアです。びっくりしたことに、多くの人々が、僕の新しい趣味はフランス歌曲を歌うことだと思っている(笑)。
カウンターテナーにとって、これは異例のことですが、僕はパリの先生と歌の勉強を始めたときから勉強し歌ってきたのです。ペルゴレッシやヴィヴァルディを勉強しましたが、フォーレやドビュッシーも同時に勉強しました。だから、フォーレ、ドビュッシー、ラベルの歌は18歳の時から、ずっと歌っているので、驚くようなことではないんです。それに僕は、フランス歌曲を守っていきたい。ほかにもそういう歌手はいるけれど、ごく少数です。フランス歌曲は、ドイツ歌曲と同じように素晴らしいし、独特の雰囲気があるのですが、実際はドイツ歌曲のコンサートのほうがはるかに多い。僕にとっては、バロック音楽ではできないフランス語で歌えるというのは喜びです。フランス歌曲を歌うことは、新しい経験であり、新しい色であり、新しい感情です。バロック音楽を歌うときにも、新風を取り入れる意味で有益ですよ。
問)今日はお忙しいところをどうもありがとうございました。